Dream Art Laboratory岩波英知さんについてのブログを始めてみた

社畜根性だったブログ主が起業し成功を収めるまで。お金のことを考えなかった今、当時の自分を振り返ってみた。起業する前に自分の脳を覚醒しようと岩波英知さんの特殊な施術を受けた体験談をブログに書いてみた

2017年06月

頭が働かない、これほど苦しいことはない。

この東京で私は持ちうる能力を最大限に発揮して、社会的に活躍したい気持ちがあった。

しかし、どう頭をひねっても、いいアイデアが全く思い浮かばないのだ!

直感を鍛えるために、私は瞑想をやり始めた。

また起業セミナーやビジネスセミナーやコーチングセミナーをはしごして、脳の使い方を覚えようとした。

能力開発の機械を購入したこともあった(かなりの出費であった)。



しかしどんなに頭に力を入れても、四六時中考え込んでも、やはりいいアイデアが浮かばない。

どうすれば大きな成功を収められるのか考えると、やはり人が考えつかない盲点となっているアイデアを思いつくことしかないと思っていた。

世の中には必ず盲点があるはずだ。

そこをつくことができたら、莫大な利益を得られると思っていた。



そのうち何にも考えつかないまま時間が過ぎていった。

やる気に燃えていた私の頭も、いつの間にか冷え切っていった。

「いずれ」「そのうちに」と思いながら、社会的成功を夢見ながら、日々ビジネスマンとして変わり映えのない仕事を淡々とこなすようになってしまった。

時々、サイドビジネスをしようとビジネスセミナーや起業セミナーに通い、何にもしないまままた時間が過ぎていった。

自分探しと称して、インド哲学や瞑想や禅の本にもはまっていたことがあった。



だから、頭が働かない苦しさはよくわかっている。

考えまくれば何かヒントが出てくるかもしれないと思うかもしれないが、本当に働かない脳からはいいアイデアなんて出てこない。

出てくるのはどれも二番煎じなものばかりだ。

改めて私はオリジナルを生み出す人間を尊敬するようになった。



人のものをパクって改良することは誰だってできるし、誰でもやっていることだ。

しかし、人が考えつかないアイデアを思いつけることは、思っている以上に難しい。

だから私はその人を本当に尊敬する。



のちに私もニッチだが、とても利益を上げることができた分野を発見することができた。

その時のわたしの脳はとても軽やかで、とても昔知恵を振り絞ってもなんにも出てこなかった頭の重さとは大違いだった。

ここでわたしは学んだ。

なんにも生み出せない脳みそは、いくらそれで頑張っても無駄な努力なんだって。

生み出せる脳は、必ず結果を生み出せる(その途中は苦労はつきものだがなんにも思いつかないより一億倍増しだ)。


私は東京には大学からずっと住んでいる。
なんとか東京の街に受け入れてもらえたと思っている。
だが、それまでは東京という街はあまりに大きく、ビジネスを始めるにあたって圧倒され続けた。
自分を見失い、自分探しをして模索してきた。
だが東京はそんな甘くなかった。


東京は大阪や名古屋を含め、あらゆる日本のどの都市よりも成功者で溢れかえっている。
地方回帰だ、地方創生だ、東京ばかりが人生ではないと言われても、現実問題、仕事で成功するには東京が圧倒的に優位だと思う。

なぜ関西で創業された大企業がみな東京に本社機能を移すのか?
ましてやこのインターネット時代のどこでも一律に最新情報を得られるというのに。
それは人がいるからに他ならない。
成功者がたくさんいる東京で仕事をするのが一番成功できるからだ。

東京一極集中の問題はこの際置いておきたい(あまりに人が多すぎるとは思う)。
しかし、成功を夢見て、チャンスを掴めるのが東京のいいところだ。
その裏には成功者の数の何倍も敗北者がいるだろうが、チャンスは山ほど転がっていることは動かせない事実だ。
欲望が渦巻く東京で勝ち抜いていくことが、大きな成功につながる。
人口とエネルギーの分だけ成功したときの大きさは半端ないものになる。


東京が嫌いだろうが好きだろうが、東京を征服することは欠かせない。
東京に肌が合わなくても、東京で成功することは可能だ。
客観的に東京を見ることができる。
東京に憧れて夢敗れる人間は、客観性を失った人たちだ。
だから、東京が嫌いだからこそビジネスがうまくいくとも言える。

ビジネスの成功は客観性と冷静さを持てるかだ。
それを失ったらおしまいだ。
成功を収めていい気になって浮かれて、後の失敗につながる例はたくさんあるが、それは客観性と冷静さを失ったから。

しかし、自分探しをいつまでも東京でしていたらいけない。
自分探しをするってことは自分を見失っているってことだ。
そんなことをするために東京は存在していない。
チャレンジするために存在している。
自分探しは甘すぎる行為だ。
自分が探せたら行動に移すと言わんばかりに。
逆に自分を探しているから行動していないという言い訳に聞こえる。

せっかく東京というフィールドに立っているのだから、自分探しみたいな甘い考えはすぐ捨て去るべきだ。
そんな人間が、自分探しという名目で成功セミナーや起業セミナーに通っても、何にも身につくはずがない。





朝、目が醒めた時、どう思っているだろうか?

何も考えずにぼーっとして顔を洗ってトイレに行っていないだろうか?

今日一日の思いを噛み締めているだろうか?

成功者、勝者はその日の重みを誰よりも知っている。

だから、彼らに惰性なときはない。


今日一日を有効に使えてきただろうか?

一日を惰性で怠けてきたのならば、どれだけ損失を被ってきたのだろう。

今日までの一日一日を、今日しかもうないという気持ちで一生懸命生きてきたら、今の状態はないはずだ。

今まで一日ずつ怠けてきたツケは必ず襲ってくる。

これまで何もできなかったのならば、今日もどうせ何もできないと思ってしまう。

頭ではそんなことはないと思っても、感情が追いついてこない。

どうせ何もできやしないという諦めの気持ちがどんどん脳を支配してきている。

だから、行動しようとしても理由をつけて諦めて何もしない。


この時間が無駄に過ぎていくことを一生やり続けていくつもりか?

何も生み出せない退屈な時間を続けたいのか?

精一杯、人生最後の一日として、今日を生きてみたくはないか?

鏡の前の自分に朝、問いかけてみろ。

今日が人生最後の日だったら、今日やろうとしていたことは果たして、その日に値するものか?

もっと別のことをしなくてはならないはず。

そうやって日々生きてきたら、脳は必ず覚醒してくれる。

このままでいいはずがない。

徹底的にやるしかない。



競争を勝ち抜き勝者となりたければ、強くなるしかない。

これは弱肉強食の世界で生きている我々にとって鉄の掟だと思う。

成功者や勝者と呼ばれている人間で弱い人間は誰一人いない。

腰の低い人、謙虚な人、優しい人はいるが、決して弱いのではない。

絶対にぶれない芯の強さをもっている。

そして大きく成功できる人間は、大きくずるい。

ずるくてしたたかで抜け目がない。

こうと決めたら突き進める。

その強さを持っているだろうか?

強さがないまま弱肉強食の世界に挑んでいったら必ず食われる。

食い物にされ、ボロボロのゾンビになって、社会を恨めしそうに眺めながら徘徊することになる。





世の中は弱肉強食。

助け合いとかみんな仲良くと言っているけれど、そう言っている人間ですら、一番自分が可愛い。

それが当然だ。

昔ほどあからさまじゃないけれど、大国、強国は弱小国、発展途上国を食い物にしている。

つまり搾取している。

資本家は労働者を搾取し、富を奪っている。

お金持ちはさらにお金持ちになり、貧乏人はさらに貧乏になる。

中産階級も世界的にどんどん数を減らしている世の中だ。

勝つか負けるかしかない。


どうせならば成功者、勝者で誰もが有りたいはずだ。

お金を取る側とお金を搾り取られる側ならば前者のはず。

しかし、何をしないままだったら、確実に奪われる側になる。

人生は一度しかない。

惨めにお金と生きる感動を一方的に奪い取られる側でいたいのか?

生まれてきたからには幸せを味わい尽くしたほうがいい。

弱者になったら幸せになる機会が奪われる。

人助けしたいならば、まず自分が成功者になるべきだ。

ならば、今自分がやらなくてはいけないことがはっきりわかるはず。


会社が第一、会社のために粉骨砕身して頑張る、そんな人間は社畜にすぎない。

経営者はすべてを会社に捧げる人間は信用をしてはいけない。

会社の成長に必要な人材とは、主体的に自分の野望、願望を実現するために取り組んでいる人間だけだ。

そんな人間が多いほど、会社は急激に伸びる。

決して自分の都合の良いように社畜にしてはならない。

ロボットには創造性はない。

やられた作業をこなすだけ。

企業の成長エネルギーは、社員一人ひとりの願望実現の集約だ。

自分勝手に動く人間をうまくコントロールしてこそ、一流の経営者だ。

けっして自分のエゴのためだけに社員のエゴを潰してはいけない。

そんな会社はすぐに落ち目になる。


自分の人生と戦っているか? 

自分の運命に抗っているだろうか?

懸命に自分の全存在をかけて、戦ってきたか?

現状に満足しているわけじゃない、ならば満足するまで抗い続けるしかない。

決定的に足りない何か、それは戦いじゃないだろうか?

そりゃあ、リスクへの不安や恐怖がある。

だが、恐れて逃げ続けていたら、それこそリスクじゃないだろうか?

人生が行き詰まってしまうのは、決闘していないからだ。

自分と、人生と、過去と、未来と、運命と。



よくよく考えてみたら、戦っていない人間は生きているとはいえないかもしれない。

生きるってことは戦うことだ。

体内では様々な細菌と戦ってくれている。

だから生きられている。

しかしお前はどうだ?

できるだけ戦わずに安全に成功だけを手に入れようとしていないか?

戦うってことは、本能が高まることだ。

モチベーションもすごくあがる。

精神が高揚し、とんでもない感動が待っている。

恐怖心や不安は感動につながる。

戦えばだ。

だが逃げ続けていたら死んだも同然だ。

そんな人間に幸せな人生なんて舞い降りるわけがない。

これまでの人生と決別して生まれ変わろう。


何も成し遂げられないまま時間を無駄にしてきたのでは?

起業して成功したい、転職してキャリアアップしたい、このままでいいわけがないと思いながらも、時間だけがひたすら過ぎていっったのでは?

自分探しと称して何もせずに立ち止まり、引き寄せの法則を学んで成功しようとする。

自己啓発系の本を読んで自分を高め、経営セミナー、転職セミナー、起業セミナー、コーチングセミナー、ビジネスセミナー、自己啓発セミナーに参加して、成功できる自分になった気でいる。

しかし、何一つ変わっちゃいない。


何かを始めようとしても、最初の一歩がどうしても踏み出せず、自分を変えようとしても方法がわからない。

とりあえず、そのうちに、という気持ちで時間を無駄にする。

自信がない、リスクが怖い、しかし、いつか必ずやってやると思う。

だが、昨日踏み出せなかった自分が、明日踏み出せるわけがない。

結局、周りにどんどん取り残される。

リスクを承知で動いている奴は輝いているように思える。

実際に成功できた奴もいる。

だからますます焦る。



このまま会社にいても、社畜のようにこき使われ、身も心も擦り切れて、役に立たなくなったら切り捨てられる。

役立っていても景気が悪くなったらクビを切られる。

10年後、20年後の未来が想像できない。

成功に向かって頑張っている奴は、ちゃんと成功に至る道筋が見えているに違いない。

しかし、自分は全く見えない。


そのうち頑張っても変わらないと思ってしまう。

何をやっても無意味で無味乾燥に思えてしまう。

不安に包まれ、今のままの自分、かわれない自分に焦る。

焦るほど気持ちは萎えてくる。

先が見えないし、社会に取り残されている自分への絶望感。

どうにかしようと考えるが、出口がますます遠のく感じがする。

一歩を踏み出さなくてはいけないことはわかっている。

しかし、どうやって? 

どうすれば自分が大きく一歩を踏み出せ、成功への階段を登れるのだろう?


​​会社員、サラリーマン、ビジネスマン、ビジネスパーソン、あるいは社畜と言われる職業がある。

一部のエリートややり手を除き、見事なまで潰しが効かない職業だ。

会社の中で培ってきた技術、ノウハウ、経験、知識は、他の会社では通用しないことが多い。

転職をすればするほどジリ貧になる。

これまでの経験や知識が全く役立たない、同じフィールドの職種だとしても、会社が違えば通用しない。

しかし、会社の中でそれしかやってこなかった人はしがみつくしかない。

自分にはそれしかないと思っているからだ。



これまで培ってきた経験や知識を活かすことができない悲劇。

ここではじめて根本的な人間力が必要だと気づく。

しかし、長い会社員生活で、組織の中でしか通用しない自分であることもわかっている。

このままでいいのかという強い焦り、しかし外に飛び出したいが、通用するかもわからない不安。

何をやっても中途半端だ。

成功を望みながら成功が程遠い現時点での自分。



ならばこの会社に一生を捧げよう。

自分が会社の中で培ってきた経験や知識をフルに使って、会社に貢献し出世しよう。

会社を信用しよう。

そう思う人もいる。

しかし、会社は営利組織だ。

そしていくら社員が会社を信用しようとしても、会社の方から見たらどうか?



ちょっとでも状況が変わり、風向きが変わり、人事が変わり、方針が変わり、不景気や時代の波に取り残されてしまったら、平気で会社は社員を切り捨てる。

これまで会社が自分色に染めてきた外で通用しない社員たちを、平気で荒海に放り投げて後は知らんぷり。

会社が生き残るのが第一だからだ。

無駄な人間はいらない。

会社は裏切る、平気で見捨てる。

裏切らなくても、会社自体が倒産したらみんなクビだ。

そんな時、外で通用しない自分だけが取り残される。

人生の時間が過ぎるほど、会社員生活が長いほど、社畜精神が身につくほど、何をやってもジリ貧に陥っていく。

そうなったら後の祭りだ。




起業をしたくても戸惑っている人、それは起業してはいけないということだ。

起業をしたからには一番を目指さなければならない。

そこそこでいいと思ったら、必ず食われる。

あっという間に弱肉競争の世界に投げ込まれて、ずたずたに身も心も引き裂かれるだろう。

起業をするからには、起業をしようと思うからには、必ず一番になれ。

オンリーワンでもいい。

とにかくナンバーワンだ。


だから何を商売にするのかとても大事だ。

誰も手を付けておらず、最初に始めた人間だけが過度な競争に飲み込まれずに一番を維持できる。

なぜ一番を目指さなければならないのか?

人間というものは一番というわかりやすいものしか心を動かされない。

それにならお金を出していいと思う。

なぜなら一番だからだ、こんな単純な構図はない。

二番手以下にはまったく魅力を感じない。

一部のマニアだけが目をつけるだろうが、そんなもので会社を維持していくことなどできない。

ジリ貧になるだけだ。


さらに一番手は低レベルな競争に巻き込まれない。

醜い争いは二番手以下で行われるものだ。

もし勝ち上がっても、真の一番を相手にしなければならない。

そんな非効率的なものをやるならば、一番を目指せるものをやるべきだ。


自分でオリジナルを作れ、自分で市場を作れ。

独自のアイデアで独自の自分の支配する市場を作る。

競争をしたら消耗するだけだ。

競争するにしても、一番手の高みから二番手以下の動向を注視して、彼らが上がってきそうだったらつきはなせばいい。

成功するってことは激しい競争を勝ち残るっていう意味じゃない。

いかに競争をしないで成功するかだ。



起業するって、サラリーマン、ビジネスマンにとって、未来を感じさせる響きがある。

大きな成功は会社組織の一員で身も心も捧げ続けていたら一生望めない。

ならば起業するしかない。

しかし、起業する人はみんな思う。

私は起業して成功できる類の人間だろうか?と。


起業家としていちばん大切な素質とは、感と勘だ。

センスと勘の良さによって成功者になれるかどうか決まる。

起業して、さらに成功し続けるためにも、一生衰えない勘とセンスが必要になる。

それは考えていても身につかない部分だ。

アスリートの世界がまさにそうだ。

いちいち考えてからパスを出さないし、バットもラケットも振らない。

一瞬の判断力、つまりセンスだ。

言い換えると五感をフル活用する。

鋭い反射神経と本能の力だ。

これが衰えたら引退するしかない。

しかし起業家は一生ものだ。

脳が衰えていなければ、一生勘とセンスを武器に成功者であり続けられる。


もしそこを磨いていないで起業しようと思っていたら、多いな痛手を被ることになる。

借金、赤字、火の車、自転車操業、夜逃げ、破産、貧乏暮し、自信喪失、自殺…こんな人間はざらに居る。

起業を憧れ、起業での失敗が怖くて行動をためらう。

それじゃいけないと思い起業家セミナーに参加する。

しかしお金だけ取られて、結局起業を迷う自分がいる。

そんな人間にセンスと勘が養われるわけがない。

起業家セミナーもセンスと勘を実際に教えることができない。

潜在意識にアクセスする方法を教えてくれても、潜在意識に実際にアクセスさせてくれない。

結局何にもできず、時間だけが無駄に過ぎて、一生起業に憧れるサラリーマンで終わる。

こういう人はどれだけいるのだろう?





未来は君たちの手の中にあるって、昔言われていたっけ。

それは確かにそうかもしれない。

未来は不確かだし誰にもその人の未来を決める権利はない。

明るい未来を決めるのはすべて俺達の手の中にあって、いくらでも何とでもできる。

未来の可能性は無限だ。

しかし、その未来の先行きが誰にとっても明るいとは限らない。

真っ暗闇の未来の奴もいれば、どんどん明るい未来の灯火が消えかかっている奴もいる。

明るい未来を若い頃に思い描いて、今も味わっているやつなんて少数派だ。

未来は残酷だ、いや時が残酷だ。

漫然と生きていて、いつの間にか何にもできない自分になっている。

焦って何かを始めようとしてもスキルがない、経験がない、自信がない、何をしていいかもわからない。

経営者セミナー、起業セミナー、ビジネスセミナー、コーチングセミナー、自己啓発セミナー、いろいろとセミナー漬けの日々を送っても、カモにされるだけ。

何にも変わっちゃいない。

こんな未来に誰がした?

未来は君らの手の中にあるっていったやつは誰だ? 無責任なことを言うな!

言った奴は未来は必ずしも明るいとは言っていない。

ただ可能性があると言っただけ。

それが人生だ。



あなたの人生はこのままでいいのか?

疑問を挟むことなく、黙々と毎日毎日電車に揺られて会社に行っている。

日々を惰性の気持ちで過ごしていて、それがいかにやばいことなのかわかっていない。

しかし気づかないふりをしても気づいてしまう。

自分の人生は何なんだ?と。

呆然となる。

何のために会社に行って働いているのか? 働かされているのか?

ただ生活の糧のためにか?

あまりに地味で輝かしくはない毎日。

これがずっと一緒続いていく・・・・。

ダラダラと時間が過ぎていく。

ただ飯を食って寝る毎日。

いくら仕事をしても感動がない。

漫然とこうやって貴重な時間がすり減っていく。

ストレスも積み重なっていく。

虚しさを感じないようにするが、自分の心は騙せない。

こんな人生でいいのか?

それともこんなものなのか?

ふと気づいて見渡してみれば、何にも上積みがない。

得たものは年齢と老いだけだ。

今若くても確実に体力は追い衰えていく。

年を取れば取るほど気力もやせ衰えていく。

いつの間にか夢が消え失せ、あきらめの境地に達する。

しかし、虚しさだけは消え去ることはない、決して!


逃げ続けていないか?

成功を欲するけれど、成功しようとして失敗した時のリスクに怯えて逃げ続けてこなかったか?

人生に真正面から向かい合わずに逃避、回避。

リスクにチャレンジしない言い訳も用意して。

結局、怖くて何にもできない。

成功を追い求めて成功できないことが恐怖でたまらない。

幸せになろうとして、幸せになれないことで、大きな自信を喪失するのが誰よりも怖い。

そんな人間に成功したいと思う権利はない。

結局、傷つくことが怖い人間に明るい未来なんてやってこない。

傷つくことを恐れ続け、傷つかないように守って生きているが、いつのまにか全身擦り傷だらけになっている。

見ないようにしていた分だけ、破傷風になって身動きがとれない。

今更後悔してももう遅い。

それをやってきて何を得られた?

なんにもない空っぽの人生。

虚しさや後悔や憂鬱に支配され続ける人生。

そんな自分など今メタメタに破壊してしまえ。


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