Dream Art Laboratory岩波英知さんについてのブログを始めてみた

社畜根性だったブログ主が起業し成功を収めるまで。お金のことを考えなかった今、当時の自分を振り返ってみた。起業する前に自分の脳を覚醒しようと岩波英知さんの特殊な施術を受けた体験談をブログに書いてみた

タグ:自分探し

頭が働かない、これほど苦しいことはない。

この東京で私は持ちうる能力を最大限に発揮して、社会的に活躍したい気持ちがあった。

しかし、どう頭をひねっても、いいアイデアが全く思い浮かばないのだ!

直感を鍛えるために、私は瞑想をやり始めた。

また起業セミナーやビジネスセミナーやコーチングセミナーをはしごして、脳の使い方を覚えようとした。

能力開発の機械を購入したこともあった(かなりの出費であった)。



しかしどんなに頭に力を入れても、四六時中考え込んでも、やはりいいアイデアが浮かばない。

どうすれば大きな成功を収められるのか考えると、やはり人が考えつかない盲点となっているアイデアを思いつくことしかないと思っていた。

世の中には必ず盲点があるはずだ。

そこをつくことができたら、莫大な利益を得られると思っていた。



そのうち何にも考えつかないまま時間が過ぎていった。

やる気に燃えていた私の頭も、いつの間にか冷え切っていった。

「いずれ」「そのうちに」と思いながら、社会的成功を夢見ながら、日々ビジネスマンとして変わり映えのない仕事を淡々とこなすようになってしまった。

時々、サイドビジネスをしようとビジネスセミナーや起業セミナーに通い、何にもしないまままた時間が過ぎていった。

自分探しと称して、インド哲学や瞑想や禅の本にもはまっていたことがあった。



だから、頭が働かない苦しさはよくわかっている。

考えまくれば何かヒントが出てくるかもしれないと思うかもしれないが、本当に働かない脳からはいいアイデアなんて出てこない。

出てくるのはどれも二番煎じなものばかりだ。

改めて私はオリジナルを生み出す人間を尊敬するようになった。



人のものをパクって改良することは誰だってできるし、誰でもやっていることだ。

しかし、人が考えつかないアイデアを思いつけることは、思っている以上に難しい。

だから私はその人を本当に尊敬する。



のちに私もニッチだが、とても利益を上げることができた分野を発見することができた。

その時のわたしの脳はとても軽やかで、とても昔知恵を振り絞ってもなんにも出てこなかった頭の重さとは大違いだった。

ここでわたしは学んだ。

なんにも生み出せない脳みそは、いくらそれで頑張っても無駄な努力なんだって。

生み出せる脳は、必ず結果を生み出せる(その途中は苦労はつきものだがなんにも思いつかないより一億倍増しだ)。


私は東京には大学からずっと住んでいる。
なんとか東京の街に受け入れてもらえたと思っている。
だが、それまでは東京という街はあまりに大きく、ビジネスを始めるにあたって圧倒され続けた。
自分を見失い、自分探しをして模索してきた。
だが東京はそんな甘くなかった。


東京は大阪や名古屋を含め、あらゆる日本のどの都市よりも成功者で溢れかえっている。
地方回帰だ、地方創生だ、東京ばかりが人生ではないと言われても、現実問題、仕事で成功するには東京が圧倒的に優位だと思う。

なぜ関西で創業された大企業がみな東京に本社機能を移すのか?
ましてやこのインターネット時代のどこでも一律に最新情報を得られるというのに。
それは人がいるからに他ならない。
成功者がたくさんいる東京で仕事をするのが一番成功できるからだ。

東京一極集中の問題はこの際置いておきたい(あまりに人が多すぎるとは思う)。
しかし、成功を夢見て、チャンスを掴めるのが東京のいいところだ。
その裏には成功者の数の何倍も敗北者がいるだろうが、チャンスは山ほど転がっていることは動かせない事実だ。
欲望が渦巻く東京で勝ち抜いていくことが、大きな成功につながる。
人口とエネルギーの分だけ成功したときの大きさは半端ないものになる。


東京が嫌いだろうが好きだろうが、東京を征服することは欠かせない。
東京に肌が合わなくても、東京で成功することは可能だ。
客観的に東京を見ることができる。
東京に憧れて夢敗れる人間は、客観性を失った人たちだ。
だから、東京が嫌いだからこそビジネスがうまくいくとも言える。

ビジネスの成功は客観性と冷静さを持てるかだ。
それを失ったらおしまいだ。
成功を収めていい気になって浮かれて、後の失敗につながる例はたくさんあるが、それは客観性と冷静さを失ったから。

しかし、自分探しをいつまでも東京でしていたらいけない。
自分探しをするってことは自分を見失っているってことだ。
そんなことをするために東京は存在していない。
チャレンジするために存在している。
自分探しは甘すぎる行為だ。
自分が探せたら行動に移すと言わんばかりに。
逆に自分を探しているから行動していないという言い訳に聞こえる。

せっかく東京というフィールドに立っているのだから、自分探しみたいな甘い考えはすぐ捨て去るべきだ。
そんな人間が、自分探しという名目で成功セミナーや起業セミナーに通っても、何にも身につくはずがない。





未来は君たちの手の中にあるって、昔言われていたっけ。

それは確かにそうかもしれない。

未来は不確かだし誰にもその人の未来を決める権利はない。

明るい未来を決めるのはすべて俺達の手の中にあって、いくらでも何とでもできる。

未来の可能性は無限だ。

しかし、その未来の先行きが誰にとっても明るいとは限らない。

真っ暗闇の未来の奴もいれば、どんどん明るい未来の灯火が消えかかっている奴もいる。

明るい未来を若い頃に思い描いて、今も味わっているやつなんて少数派だ。

未来は残酷だ、いや時が残酷だ。

漫然と生きていて、いつの間にか何にもできない自分になっている。

焦って何かを始めようとしてもスキルがない、経験がない、自信がない、何をしていいかもわからない。

経営者セミナー、起業セミナー、ビジネスセミナー、コーチングセミナー、自己啓発セミナー、いろいろとセミナー漬けの日々を送っても、カモにされるだけ。

何にも変わっちゃいない。

こんな未来に誰がした?

未来は君らの手の中にあるっていったやつは誰だ? 無責任なことを言うな!

言った奴は未来は必ずしも明るいとは言っていない。

ただ可能性があると言っただけ。

それが人生だ。



あなたの人生はこのままでいいのか?

疑問を挟むことなく、黙々と毎日毎日電車に揺られて会社に行っている。

日々を惰性の気持ちで過ごしていて、それがいかにやばいことなのかわかっていない。

しかし気づかないふりをしても気づいてしまう。

自分の人生は何なんだ?と。

呆然となる。

何のために会社に行って働いているのか? 働かされているのか?

ただ生活の糧のためにか?

あまりに地味で輝かしくはない毎日。

これがずっと一緒続いていく・・・・。

ダラダラと時間が過ぎていく。

ただ飯を食って寝る毎日。

いくら仕事をしても感動がない。

漫然とこうやって貴重な時間がすり減っていく。

ストレスも積み重なっていく。

虚しさを感じないようにするが、自分の心は騙せない。

こんな人生でいいのか?

それともこんなものなのか?

ふと気づいて見渡してみれば、何にも上積みがない。

得たものは年齢と老いだけだ。

今若くても確実に体力は追い衰えていく。

年を取れば取るほど気力もやせ衰えていく。

いつの間にか夢が消え失せ、あきらめの境地に達する。

しかし、虚しさだけは消え去ることはない、決して!


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