Dream Art Laboratory岩波英知さんについてのブログを始めてみた

社畜根性だったブログ主が起業し成功を収めるまで。お金のことを考えなかった今、当時の自分を振り返ってみた。起業する前に自分の脳を覚醒しようと岩波英知さんの特殊な施術を受けた体験談をブログに書いてみた

タグ:起業

私は東京には大学からずっと住んでいる。
なんとか東京の街に受け入れてもらえたと思っている。
だが、それまでは東京という街はあまりに大きく、ビジネスを始めるにあたって圧倒され続けた。
自分を見失い、自分探しをして模索してきた。
だが東京はそんな甘くなかった。


東京は大阪や名古屋を含め、あらゆる日本のどの都市よりも成功者で溢れかえっている。
地方回帰だ、地方創生だ、東京ばかりが人生ではないと言われても、現実問題、仕事で成功するには東京が圧倒的に優位だと思う。

なぜ関西で創業された大企業がみな東京に本社機能を移すのか?
ましてやこのインターネット時代のどこでも一律に最新情報を得られるというのに。
それは人がいるからに他ならない。
成功者がたくさんいる東京で仕事をするのが一番成功できるからだ。

東京一極集中の問題はこの際置いておきたい(あまりに人が多すぎるとは思う)。
しかし、成功を夢見て、チャンスを掴めるのが東京のいいところだ。
その裏には成功者の数の何倍も敗北者がいるだろうが、チャンスは山ほど転がっていることは動かせない事実だ。
欲望が渦巻く東京で勝ち抜いていくことが、大きな成功につながる。
人口とエネルギーの分だけ成功したときの大きさは半端ないものになる。


東京が嫌いだろうが好きだろうが、東京を征服することは欠かせない。
東京に肌が合わなくても、東京で成功することは可能だ。
客観的に東京を見ることができる。
東京に憧れて夢敗れる人間は、客観性を失った人たちだ。
だから、東京が嫌いだからこそビジネスがうまくいくとも言える。

ビジネスの成功は客観性と冷静さを持てるかだ。
それを失ったらおしまいだ。
成功を収めていい気になって浮かれて、後の失敗につながる例はたくさんあるが、それは客観性と冷静さを失ったから。

しかし、自分探しをいつまでも東京でしていたらいけない。
自分探しをするってことは自分を見失っているってことだ。
そんなことをするために東京は存在していない。
チャレンジするために存在している。
自分探しは甘すぎる行為だ。
自分が探せたら行動に移すと言わんばかりに。
逆に自分を探しているから行動していないという言い訳に聞こえる。

せっかく東京というフィールドに立っているのだから、自分探しみたいな甘い考えはすぐ捨て去るべきだ。
そんな人間が、自分探しという名目で成功セミナーや起業セミナーに通っても、何にも身につくはずがない。





何も成し遂げられないまま時間を無駄にしてきたのでは?

起業して成功したい、転職してキャリアアップしたい、このままでいいわけがないと思いながらも、時間だけがひたすら過ぎていっったのでは?

自分探しと称して何もせずに立ち止まり、引き寄せの法則を学んで成功しようとする。

自己啓発系の本を読んで自分を高め、経営セミナー、転職セミナー、起業セミナー、コーチングセミナー、ビジネスセミナー、自己啓発セミナーに参加して、成功できる自分になった気でいる。

しかし、何一つ変わっちゃいない。


何かを始めようとしても、最初の一歩がどうしても踏み出せず、自分を変えようとしても方法がわからない。

とりあえず、そのうちに、という気持ちで時間を無駄にする。

自信がない、リスクが怖い、しかし、いつか必ずやってやると思う。

だが、昨日踏み出せなかった自分が、明日踏み出せるわけがない。

結局、周りにどんどん取り残される。

リスクを承知で動いている奴は輝いているように思える。

実際に成功できた奴もいる。

だからますます焦る。



このまま会社にいても、社畜のようにこき使われ、身も心も擦り切れて、役に立たなくなったら切り捨てられる。

役立っていても景気が悪くなったらクビを切られる。

10年後、20年後の未来が想像できない。

成功に向かって頑張っている奴は、ちゃんと成功に至る道筋が見えているに違いない。

しかし、自分は全く見えない。


そのうち頑張っても変わらないと思ってしまう。

何をやっても無意味で無味乾燥に思えてしまう。

不安に包まれ、今のままの自分、かわれない自分に焦る。

焦るほど気持ちは萎えてくる。

先が見えないし、社会に取り残されている自分への絶望感。

どうにかしようと考えるが、出口がますます遠のく感じがする。

一歩を踏み出さなくてはいけないことはわかっている。

しかし、どうやって? 

どうすれば自分が大きく一歩を踏み出せ、成功への階段を登れるのだろう?


起業をしたくても戸惑っている人、それは起業してはいけないということだ。

起業をしたからには一番を目指さなければならない。

そこそこでいいと思ったら、必ず食われる。

あっという間に弱肉競争の世界に投げ込まれて、ずたずたに身も心も引き裂かれるだろう。

起業をするからには、起業をしようと思うからには、必ず一番になれ。

オンリーワンでもいい。

とにかくナンバーワンだ。


だから何を商売にするのかとても大事だ。

誰も手を付けておらず、最初に始めた人間だけが過度な競争に飲み込まれずに一番を維持できる。

なぜ一番を目指さなければならないのか?

人間というものは一番というわかりやすいものしか心を動かされない。

それにならお金を出していいと思う。

なぜなら一番だからだ、こんな単純な構図はない。

二番手以下にはまったく魅力を感じない。

一部のマニアだけが目をつけるだろうが、そんなもので会社を維持していくことなどできない。

ジリ貧になるだけだ。


さらに一番手は低レベルな競争に巻き込まれない。

醜い争いは二番手以下で行われるものだ。

もし勝ち上がっても、真の一番を相手にしなければならない。

そんな非効率的なものをやるならば、一番を目指せるものをやるべきだ。


自分でオリジナルを作れ、自分で市場を作れ。

独自のアイデアで独自の自分の支配する市場を作る。

競争をしたら消耗するだけだ。

競争するにしても、一番手の高みから二番手以下の動向を注視して、彼らが上がってきそうだったらつきはなせばいい。

成功するってことは激しい競争を勝ち残るっていう意味じゃない。

いかに競争をしないで成功するかだ。



起業するって、サラリーマン、ビジネスマンにとって、未来を感じさせる響きがある。

大きな成功は会社組織の一員で身も心も捧げ続けていたら一生望めない。

ならば起業するしかない。

しかし、起業する人はみんな思う。

私は起業して成功できる類の人間だろうか?と。


起業家としていちばん大切な素質とは、感と勘だ。

センスと勘の良さによって成功者になれるかどうか決まる。

起業して、さらに成功し続けるためにも、一生衰えない勘とセンスが必要になる。

それは考えていても身につかない部分だ。

アスリートの世界がまさにそうだ。

いちいち考えてからパスを出さないし、バットもラケットも振らない。

一瞬の判断力、つまりセンスだ。

言い換えると五感をフル活用する。

鋭い反射神経と本能の力だ。

これが衰えたら引退するしかない。

しかし起業家は一生ものだ。

脳が衰えていなければ、一生勘とセンスを武器に成功者であり続けられる。


もしそこを磨いていないで起業しようと思っていたら、多いな痛手を被ることになる。

借金、赤字、火の車、自転車操業、夜逃げ、破産、貧乏暮し、自信喪失、自殺…こんな人間はざらに居る。

起業を憧れ、起業での失敗が怖くて行動をためらう。

それじゃいけないと思い起業家セミナーに参加する。

しかしお金だけ取られて、結局起業を迷う自分がいる。

そんな人間にセンスと勘が養われるわけがない。

起業家セミナーもセンスと勘を実際に教えることができない。

潜在意識にアクセスする方法を教えてくれても、潜在意識に実際にアクセスさせてくれない。

結局何にもできず、時間だけが無駄に過ぎて、一生起業に憧れるサラリーマンで終わる。

こういう人はどれだけいるのだろう?





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